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【NODA・MAP】兎、波を走る(大阪公演)を観てきたよ!※ネタバレ注意

兎、波を走る@大阪・新歌舞伎座

 

はじめに

終幕後に感じてたことや思ったことを、先入観なしで素直に書き留めておきたいと思った。
自分は頭の良い人の解釈にすぐ影響されるので、パンフは後半未読(演者さんのインタビューだけ読んだ)、他の方の観劇レポも読まずに感想を書くことにした。
帰路、立ち寄った上本町駅のカフェでコーヒー飲みながら、不安になったのです。
「今、自分が感じていることは、本当に私自身が思っていることなのかなぁ?」と。
サッとS N Sに目を通しているだけのつもりが、一時間も二時間も誰かのつぶやきを見ているうちに。
自分自身が感じたことを忘れ、賢い誰かの言ったことが「私の『好き』とか『嫌い』」に、いつの間にかすり変わってるような気がして。
AIの自動書記人形?と化した作家たちが「昔から歴史に書かされてるだけ?」的なこと言ってたのが、なにかと人に影響を受けやすい私には怖かった。
結果、観劇レポというよりは、薄い内容の個人的な想いをただただ書き殴ってるモノになっております。🙏

 

公演場所・日時・座席について

大阪・新歌舞伎座、8/12(土)13:00公演。
席は3階1列、上手側。サイドシート。
オペラグラスじゃないと、ほぼ見えない席だと思ってたけど、裸眼?で充分楽しめた。(演者さんが20センチサイズくらいでは見えてた)
ただし、3階席は落下防止のアクリル板と上部に黒いバーがある為、黒いバーがちょうど演者さんの顔にかかることがままあり、背を屈めてアクリル板越しに見たりした。(自分の身長が低いせいかも)

 

ネタバレ注意な、感想と妄想の書き殴り

恥ずかしながら、劇といえばほぼ宝塚しか見たことなくて『岸辺露伴は動かない』で高橋一生さんにドハマりした私は「セクシーな高橋一生を、この目に焼き付けたい!」という欲望だけで『兎、波を走る』を観劇した。
話の内容は、なんでもよかった。
「演劇って、素養がないと話が理解出来なさそう。話がちんぷんかんぷんやったら、推しの一生さんだけオペラグラスで追いかけて楽しんだらいいや」と、そういうミーハーな思いしかなかった。
野田秀樹さんの舞台を見るのは初めて。
「めっちゃ有名な人!」くらいの知識しかなく、作風がどんなだとかも全然知らない。

そんな私が、終幕直後に思ったことは。
野田秀樹の劇すごい……。重い内容だけど、めちゃくちゃ楽しめたし面白かった!」だった。
作品に没頭し過ぎて、一生さん目当てで見に来たことを、ちょっと忘れてたことにビックリ。

冒頭「不条理の境界を越える?」と言いながら月面着陸する脱兎(高橋一生)を見て「ヤバい〜😂一生さんが何言ってるか1ワードもわからん……」と不安になったけど、元女優(秋山奈津子)が「何、あの男!? 小難しい台詞ばっか言って」的なツッコみを速攻してくれたので、以降は安心して見れた。
そしてココリコミラクルタイプ(2000年代のバラエティ)に出てた大倉孝二さん(第一の作家役)の登場に「ああ〜! 大倉さん大好きだったわ〜! 今見ても、かわらずめっちゃオモロいなぁ」と、くねくね演技する姿にすげえ笑った。

そこからは、ずっと劇に夢中。

特にお気に入りの台詞は
「妄想する世界。もう、そうるしかない世界」の言葉遊び。
苦しい現実をやり過ごす最終手段が妄想。
という諦観とやるせなさがないまぜになった悲しさもありながら「妄想でもなんでもして、現実を生き抜いてやるぞ!」的な可笑しみと強さを感じた。

元女優の「遊びの園」で、繰り広げられる劇中劇を中心に、現実と妄想。過去と未来。リアルとバーチャルが、舞台上で目まぐるしく転換していく。
二人の座付き作家(野田秀樹大倉孝二)が書いた劇の内容は、飲んだくれのアリスが登場する不思議の国のアリスや、社会派のピーターパン。
アリスの母(松たか子)は、アリス(多部未華子)を探して、遊びの園にある迷子センター?を訪れて、脱兎と出会う。
脱兎は劇中劇でピーターパンを演じるし、アリスと一緒に飲んだくれるたりもする。
アリスがいる世界と、娘を探すアリスの母がいる世界は交わらない。
母と娘。
どちらとも会話できる脱兎(高橋一生)は、現実と虚構の境目が曖昧な、この摩訶不思議空間?を、行き来できる存在のようだ。

脱兎いわく、体が大きくなるのではなく、気が大きくなる薬だという酒。
酒を酌み交わして、アリスと脱兎がぐでんぐでんになるシーンの一生さんの破顔がかわいくて大好き。
後半シリアスなお顔が続くので、このシーンを思い返してめっちゃ尊いと思った。
アリスちゃんが、小林幸子状態になる演出も楽しい。
それから今ふと思ったのだけど、あのシーンは今も昔も未来も、実態のない「虚構」や「思想」という「遊び」に夢中になって、酔っ払っている人々を揶揄っていた?とか?
ああ……一度見ただけではわからない。
何度か見て考察したい。
もう観劇は叶わないけど(涙)

ちなみに初めて見たリアル松たか子さん、テレビで拝聴するより、お声が高く透き通っていた。
大昔、歌手の松たか子さんが好きで「明日、春が来たら」というシングルCDを買ったことを思い出した。
ドラマ「カルテット」や「大豆田とわこ〜」で、「松たか子の演技好きだ〜」と思ってたけど、この人の声が凄く好き、という原点に立ち返った。

脱線したけど、ストーリーの話に戻ります。
劇中に散見する数多の「境目」は、ストーリーが進むにつれてどんどん曖昧になり、脱兎は境目を超えて、分断されている?世界を縦横無尽に走る。

地上と月面。
現実と妄想。
過去と未来。
リアルとバーチャル。
親と子に。
人とAI。
そして国境。

幾つもの境目を行き来しながら、息つく暇も与えないスピード感で、エピソードが繰り出される。
なんというか「エピの宝石箱や〜」状態。
観劇といえば宝塚(客層の8割、9割女性)の私は、開幕前に客席の顔ぶれを見て驚いた。
男性、女性、若い人からシニアの方まで。
本当に、色んな人がいた。
故に、性別や年代が全然違う客層に向けて、エピソードを乱射している?
強く刺さるシーンは、見る人の背景で全然違うだろうし。
アラフォーの私は、メタバースの土地を買う話で、「昔、月面の土地買ってる人いたな。懐かしい」と昔を思い出し、今、まさに気になってるカジノやふるさと納税の話に注意が引かれた。
それから、アラフォー故に拉致被害者の方々が帰国される映像をリアルタイムで見ていた。
両親は野田秀樹さんと同年代なので、ゲバ棒振り回してた人達のことは、伝聞で知ってる。
戦前、仁川(インチョン)に住んでた祖母とは同居していて、祖母からまだ仁川が日本だった頃の話を、よく聞かされる環境で育った。
そういう背景により、私の感情は「未来より過去」に強く引っ張られた。

チャットGPTと、今までのAIの違いすらわかってない、IT音痴?だから、というのもあると思う。
メタバースも「映画の『レディ・プレイヤー1』みたいな感じの奴?」くらいの理解で、アバターを作って?ログイン?したこともなくて…(恥)
だからシャイロック・ホームズの存在や、東急半ズボン教官、AIの初音アイといった、未来視点?の人々の話が、あまり咀嚼できてない(恥)
自分の意思で書いてたつもりが、AIに書かされてた!?なところは、かなり怖かったけど。
知識や経験がなさすぎて、人間の仕事が全て機械やAIに置き換わる?な未来が想像できてないのだと思う。
大昔にやってた広告の仕事で考えてみたんやけど、デザインの案出しは「AIデザイナー」に任せられるとしても、発注主の潜在的意図の汲み取りとか、修正反映などの地味で面倒な作業は、人間が働く方が効率良くて、AI様より単価安そう、とか妄想して……恐怖より虚しさに襲われた。
「ジッと見たらわからないけど、サッとみたら兎だと気づく?」の台詞みたいに、今の時代「ジッと見たり、サッと見たり」を使い分ける器用さが求められてることが多い。
不器用で、ジッと見過ぎて疲れることが多い私は
「『ママ友グループLINEや幼稚園や習い事関係の連絡を、サッとAIに読ませてアナタっぽく返信します』みたいな事してくれるAIちゃんは、どこにいるの?」なんて妄想もした。
でもそれしちゃうと、ママ友や先生たちとお付き合いしてるのは、私じゃなくてAIになる……のか? 
私自身が、ママ友や先生と会った時に、会話が成立しないな……(笑)ダメだ。
未来については以上。

以下、過去について。
脱兎の過去が明らかになる後半。
アナグラムを解いて、穴蔵?からの脱出を試みるダジャレ?シーンに、ライトなミステリーファンの私は興奮した。
まず「アナグラム」という単語!
それから「USAGIがUSA-GI」だと判明した時は、マジで異常興奮した。
「圧倒的な語彙力がないと出来ない言葉遊びだ〜!すげ〜!」と英検3級の私、おったまげ。

そうして、明らかになった母と娘の関係が、もう、ね。
「助けて、神様仏様! 未就学児2人の育児が辛すぎます!」と毎日念じてるアラフォー主婦の私には辛すぎた……。

ダメ主婦の私は、母親業にかなり疲れていて子供と離れて観劇できるこの日を、死ぬほど楽しみにしていたのです。
そんな人に「突然、娘と引き離された人の苦悩」が、松たか子さんの素晴らしい演技でぶつかってきたのです。
私の感情は、引き逃げ?された……。

前半アリスのお母さんは、妄想の世界に生きてる「イタイ人」状態。
元女優から「本当は、子供がいないんじゃない? 妄想よ」と言われたり。
お酒の代わりに、脱兎と時間を呑むシーンだったかな?(時計が揺れて、中原中也の「ゆあーん、ゆあーんゆああーん」が台詞で出てくるシーン? 好きなシーンだと思ってたはずなのに、もう記憶が曖昧で悲しい)
脱兎から「あなたのお子さんは大人になっただけだった? 幼い頃のお子さんを失っただけ?」とか言われたりも。

それが…アリスは横田めぐみさん?だったんだぁ…となった時。
お母さんは、ずっと正気で。
妄想の世界の住人ではなく、もう、そうるしかない現実を生きてる人で。
娘を探して探して、帰って来る日を待ちわびている人だとわかって。
ああ……と、泣くしかなかった。
脱兎が安明進だと名を明かし、アリスを取り返そうと三十八度線を超えて行く場面の松たか子高橋一生のお芝居。
息をするのも忘れるくらい観ていたと思う。
「場に、のみこまれる」って、ああいうことなのかな?
劇中、ドラマ「カルテット大好き」人間の私が、真紀さんと家森さんのことを、一ミリも思い出さなかったことに、役になりきってる人達の凄みを感じた。

そしてアリスが、中学校の部活帰りに拉致されるシーンに流れる「蛍のひかり?」が……。
胸に、ドーーンと来て……。
「うわーーん!『少しでも子供と離れたい』とか、そんなことばかり思ってしまって、ごめんね子供たち。ありがとう日常……(涙止まらん、辛い)」と、感情がぐちゃぐちゃになった。
終幕後すぐ、立てる気がしなかった。

今、感じてることを忘れたくない。
だけど、日常にのまれてすぐ忘れてしまうんだろうな、とその瞬間強く思った。
だから無い脳みそを絞って、今、感想文かいてるんやけど……
一週間もたてば、びっくりするくらい思い出せなくて、また少し悲しくなってる。


ま、そんなこんなで「あ!私は高橋一生さんを見に来たんだ!」ということを、カーテンコールでやっとこさ思い出した。
そしてガン見した。
一生さんは、挑むような眼差しで上手下手、一階席から三階席まで目配せしてくださってました。何度かカーテンコールがあり、最後の二回?は出演者の皆様、手を繋いでのご挨拶でした。
昨年の一人芝居、2020(ニーゼロニーゼロ)終幕後は、にこやかにお手振りされてた記憶があるのですが、今回、笑顔はなかったと思います。やり切った!といった感じでしょうか。
素晴らしいお芝居に、一階席、二階席、三階席の後ろの方、たくさんの方がスタンディングオベーションされてました。
私も「スタオベデビュー、今日こそ果たしたい!」と思ったのですが、三階席一列目の方は皆座っていらっしゃったので(後ろの方に配慮されてかと)今回もデビューならずでした。

以下、徒然と。

 

推し(高橋一生さん)について叫ぶ

なんだあの機敏さは!?
存在が奇跡のアラフォーだった。
走るし、飛ぶ、跳ぶ!
そして舞台真ん中の、セリに消えてく時の俊敏さが異常。
何かのインタビューで「熱々の米を、水で冷やした手で握って、アルミホイルにくるんだおにぎりを稽古場に持っていってる」とおっしゃってた記憶があるのですが、「こんな出ずっぱりで、ずっと走れるアラフォー。米の力が偉大すぎる」ってなった。
脱兎の衣装は、すごく暑そうでした。
劇場の温度が割と高めだった気がして余計に。
額に汗が光ってたのが、尊すぎた。
あと、劇中劇の「社会派毒舌ピーターパン」最高だった。
無邪気な笑顔で
「母親なんて、いらない」と子供たちを煽る姿が、まぁ悪い笑顔で! ドキドキした。
一生さんの悪い顔が好きだ〜!
もっと見せて、もっともっとドキドキをくれ〜!!

 

「人の人生」で遊ぶ以外の楽しみがあればいいのに

窮屈な現実から少し目を逸らすために、古来から人は「遊び場」を設けてきた。
劇、賭け事、思想、革命、ゲーム、メタバース……
時代と共に「遊び場」も「おもちゃ」も変わる。ただし、人間の本質は変わらない。
1970年代、革命思想という虚構に夢中だった人たちと、今SNSで誰彼構わず誹謗中傷しまくってる人たち、似てるなぁと思った。
自分だけが絶対正しくて、正しさを証明するためには何してもいいと思ってるとことか。
「人の人生」を「おもちゃ」にして遊んでいる自覚の無さとか。

クソちっちゃい超個人的な話なのですが、身近なママさんで、我が子=自分の作品、みたいな人がいて。その人はお子さんの能力とか無視で、勝手に進路とか習い事とか決めて。
それで、お子さんが思った結果ださなかったら、お子さんや周囲に怒る。
その人の話を聞くたび、いつもモヤモヤするだけやったけど、観劇後に気がついた。

「子供の人生は子供のもので、あなたのおもちゃじゃないですよ。『人の人生』で遊ぶ以外の、何か別の楽しみをみつけてくださいよ」って、私言いたかったんやなぁって。
(気が小さいから、これからもご本人には言わないと思うけど)

素晴らしい劇を見たおかげで、黒いモヤモヤの正体を言語化できて、スッとした。
非日常の大切さを、改めて感じた。
フィクションという遊び場に助けられて、日常を生きてると思った。

 

さいごに

観劇後、上本町駅のカフェに入った。
私は、チェーホフを読んだことなければ、ブレヒト?も知らなかった。
ただセクシーな高橋一生が見たい一心だけで、観劇しにきたミーハーなアラフォー女だ。
それが、ホットケーキ食べながら、高橋一生じゃなくて、まず安明進についてググってた。
その事実が、けっこう衝撃だった。
野田秀樹さんって凄い人なのですね……。
心中「しっかり楽しませて、伝えたいことも伝える。これが、一流のエンタメか!」と、ゆいP口調で唸った。
それから「なんの努力もせず、こんなに楽しい気分になれて幸せすぎるな……」と観劇の余韻に浸った。
日常生活で、ちょっとした楽しみを見つけるのには、ケッコー努力がいったりする。
だけどこの日は。
チケット持って、電車乗って。
劇場にただ座ってるだけで。
こちらは楽しむ努力なんかなにもしないで、向こうからどんどん楽しませてくれた。
「冬物コートをクリーニングに出す」とか「ゴキブリ駆除の仕方調べる」とか、今やっても明日やってもどっちでもいいToDoリストに占められがちな私の脳内から、観劇中は日常が消えた……。
楽すぎて、最高な一日だった。

博多座公演の観劇に行かれる方々、日常を忘れて楽しんできてください!

 

おわり